酒脱の仁 池田片銕

 このページでは郷土武生の池田片銕(いけだへんてつ)を紹介いたします。

 遺された彫刻、書画を通してその人となりを感じていただければと思います。

《 池田片銕 略歴 》

 

 明治21年に越前福井にて生まれました。幼くして母と死別したために、同じ福井の城下にあった池田家に入籍したのです。このときわずか三歳であったと云います。

 この池田家というのが鎌倉新仏教のひとつとして数えられる曹洞宗開祖道元に付き従い中国より帰化したという建築家の玄盛繁の子孫と伝えられます。

 片銕はこの池田家では三代目に当たりますが、その養父となる池田恵斎によって彫刻家としての薫陶を受けたのです。恵斎は父でありながらも人として尊敬をしていたようで、ともに合作する際には緊張していたようです。

 片銕は大谷弥学について漢学を修め、また篤学画家である宮原廉にも師事します。そのさいに「片銕」の号を受けたのです。片銕にはほかに空外という号がありますが、これは初号、すなわちこの号は二つ目ということになります。しかしながら、たいへん好んで用いたようです。また画家の山元春擧や小栗秋堂を敬慕してその画風を学び、さらに赤松柳史とも交わって俳句、俳画ともに能くしたことは云うまでもありません。

 片銕の筆にかかる書画は福井の県内各地いたるところに残されており、その交友の広さには驚かされます。話によれば死に際まで筆を握り書き続けたといいます。決してその作品を売ることはなく、頼まれれば贈ったといいます。
 昭和2年11月には奈良・正倉院御物を拝観。昭和8年の秋には、県下で行われた大演習の際に、紫檀製の中卓を陛下に献上します。これを機に皇室献上作家としての名前が広まります。
昭和16年に県下の作家の集いである「工人社」を創立し、昭和21年鯖江眼鏡会社社長の三輪笑風らと「南越文化交友会」を設立します。のちには「若越文化交友会」と改められ、県美展の前駆となったのです。その後昭和29年に武生文化賞を、翌30年には福井県文化賞受賞します。

昭和55年1月17日92歳にてその生涯を閉じます。

 

「 吾 無銭にて 地獄へ往く  九十翁 片銕 」

《 片鉄 ギャラリー 》

● 彫刻 、 工芸 ●

№1 池田片銕刀 欄間 散桐紋

№2 池田片銕刀 桐火鉢 松に漢詩

№3 越前焼 香炉 共箱 池田片銕考案、北野左仲造

● 書画 ●

№4 池田片銕筆 春塘之図

№5 池田片銕筆 夫婦和合図

 “喧嘩しないで暮らそうじゃないかすえはたがいにこのすがた”

● 著作 ●

№6 池田片銕著 「柿しぶ」 昭和四十四年の出版

   句集「二十年」、十二カ月画「四季」 非売品

片銕の作品には美しさ、力強さ、深遠さ、そして品性が備わっているのです

人生到る處に青山あり  九十三翁 片銕

父、池田恵斎の作品はこちらをご覧ください

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池田恵斎作 器局 (部分)